当たり前の存在。

chiSya

2010年05月15日 11:46

扇風機が届いた途端
必要ないくらい涼しい那覇です。


どうせ自分、残念ですから。。。








訃報を聞かされたのは、その時勤めていた会社に
母親からかかってきた電話で・・・、

頭が真っ白になりました。

嘘だと思いました。



そして、当初その会社を辞めたかったのと
何か他にも精神的にピリピリしてるものがあって
最期におにいちゃんに見せた自分の顔が
「元気で明るいちしゃ」
じゃなく、陰湿な表情であったことを真っ先に後悔しました。


未だに後悔してます。




父親の車でおにいちゃんの眠る、母親の実家に。
本当に信じられなかった・・・。
「顔、見てやんな。」
っと母親の姉妹たちに言われたけど自分の力で見れなかった。


























自分の大事な人や好きな人、
ましてや親族は

“存在の当たり前な人”

だと、無意識に思い込んでた。

絶対いなくならない、
ましてや死んだりしない。
そういうものだと、思っていた(らしい)。




そんな思い込みが覆された出来事でした。




この日を境に、ちしゃの考え方のいろいろなものが
変わっていったのはいうまでもありません。。。。。









つづく。




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