ご縁。<坊主編>
19の時に最愛の叔父を亡くし
その時お世話になったお坊さんが中学校の時の社会科教師
という、物凄い偶然に見舞われ、更には妹も、
学校違えていとこも授業受けたことがあることが発覚して
早21年。
昨日もちょとした小用で
近親者だけでお経上げてもらってました。
そのあと雑談になったわけですが、
恰幅の良かった(当時の)先生が、この頃一気に細くなり
物忘れも激しいらしく、時間の流れを感じた次第。
中学生当時、我ら学年は先生のことを「浜T」と
名づけておりまして、そう呼ばれてること、知ってたみたいw
「あんたは、3年とき何先生だったっけ?」
っと訊かれたので、よもやタメ口で
「あ、鳥さんwww」
っと答えたら、そんな鳥さんに関する面白いエピソードを
知りえることができました。
あたしらが卒業と同時に転勤になって
同じく市内の中学に移った鳥さんは、部活動の見学だかで
バスが必要になり、マイクロをチャーターしたという。
当日、学校に来たのは
YOUバス!!
小田原にお住まいの方ならご存知だろう、
これが
「弔問客の火葬場への往復に使われる」
バスだということをwww
笑ったw
鳥さんらしくて。
一生懸命で真面目で、だけどいっつも空回っちゃう
新人先生だった鳥さんらしくてwww
我らの学年は、当初、強豪な教師陣に恵まれ(?)
今だったらモンスターペアレンツや、PTAや教育委員会に
あっという間に訴えられ、干されそうな教師が
何名もがん首並べていた。
忘れ物すれば棒っこで、尻叩かれるし、ビンタもされる、
家に取りに帰れ!!っと言われた事もある。
正座させられたり、掃除させられたり、贔屓もあった
そもそも先生のほとんどが武器(棒っこ)持って廊下歩いてたw
それが日常。
でも、先生という存在に全く威厳がない今、
あたしはそういう環境で育てたことを誇りに思う。
もちろん生徒から中傷受けたり、無視されたりで
泣く先生や、密かに辞めていく先生もいたはず、
でも今ほど陰険ではないし、親がしゃしゃり出る事態には
そうそうならなかった。
いまでも、友達と集ると(先日、成人式やった仲間)、
必ず先生の話しが出るw
みんなあたしと同じと思う、
その時は頭にきたり痛かったりしたが、それが良かった、
一週回って面白かったっと。
そんな中で鳥さんはあたしたちの入学と一緒に新卒で着任し
卒業と同時に転勤した。
ひょろひょろした男の先生で
字が汚くて、声だけはでかくて、
生徒にからかわれても決して怒ったりしないで、
とにかく一生懸命だった。
(鳥さんは目の前で「鳥さん」と呼ばれてた。)
昨日、まさかの浜Tから、そんな話しが飛び出るとは。
浜Tにとっては、あたしら母方親族は単なる檀家のひとつではなく
特別な思い入れがあるんだろう、
帰った後に家族とそんな話しをした。
浜T、
すっかりおじぃだけど、入り婿の若坊主にまかせて
そろそろ好きにのんびりしたらいいさ、
身体に気をつけて、またね(^ー^)ノ
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